猫屋さんの病記録

猫屋宅のぬいの病記録

アセクシャル

お久しぶりです猫屋です!

 

今回はアセクシャルについて

 

アセクシャルに気づいた僕のこと

 


20代も半ば、ふとした言葉に

自分の長年の悩みが蘇った

 


LGBT

性的マイノリティ…詳しくはどうも定義が曖昧らしく、僕の理解が乏しいところではあるが、性的少数者などと呼ばれることもあるようだ。これも差別的ではあると思うが…。

 


一般的に多く、それが過半数で普通とされている男女恋愛の枠に入らない…といったところだろうか?

 


いわゆる レズビアンホモセクシャルバイセクシャルトランスジェンダーなどと言えば聞いたことがある人もいるかと思う

 


僕の場合は【アセクシャル】だと自分では思っている

 


なぜ断定しないかというと

診断出来るものではないからだ

自分の感覚を他人と共有するのは難しい

誤差が生じる。だから多方面から集まった情報から1番近いものを選んだ。

それがアセクシャルだった

 


なぜ自覚出来たのか?

自分のことをLGBTだとカミングアウトしてくれた方々がいた。その生き方、考え方に僕は「こんな生き方(考え方)が許されてるなんて…!」(良い意味での驚き)

とても、不思議な気持ちで

新しい扉を開けたような

違和感よりも先に、何かが救われたような気がした。

 


それはとても雲かかった心に光がさしたようでした。

 


その単語を調べてみると

 


「ああ、これだ…!」

やんわりしか分からなかったが確信はできた

 


自分を苦しめてた心の陰りはこれだと。

 

 

 

自覚した時ショックじゃなかった?

とんでもない!むしろ嬉しかった!

 


ずっと説明出来なかった、言葉にできない悩みが解決するかもしれない!

そう思うと自分の過去の悩みを情報と結びつけて、紐解いていくのが変に思うかもしれないが、とても楽しく思えた

 


ところでアセクシャルって何よ?

これに関しては僕の場合で語ろう…。(全てが当てはまる訳では無い人もいるので)

 


まず、僕は

体は女性だ

心は中性というのだろうか、男性でもあり、女性でもある

 


どうしても男性の体になりたいか?問われればNoである

女性の体に違和感を感じるか?

これはなんとも言い難い。存在として女性である認識はしていても女性としての役割と言われると嫌だと答える

 


例えば、女性特有の生理(月経)だとか化粧だとかそういうのには反発(違和感)がある

 


この違和感は、

「生理が嫌なんて女性なら当たり前でしょ?」

という女性の悩みに対してみんなが感じうるものではない。

もちろん生理が憂鬱、嫌だと思うのはわかる

でも違うと言いたい。

 


僕は生理が来れば気持ちが落ち着くのだ

正確には諦めがつくのだ

 


月経前症候群(PMS)、月経前不快気分障害(PMDD)と呼ばれるものがある

 

 

 

どちらも生理2週間ほど前から起こる体や心の不調が起こる。というものだ

 


僕は特に、月経不順が酷いため

この一定周期でやってくる波が読めない

 


そして、とても不安定になる

双極性障害という病気も相まってと言ったところだろうか

 


体調が優れなくなると

「何が原因だ?風邪でもないし…

なんだ?なんなんだ?」と混乱する

 


未だにこれはあるのだが「あ、そうか、生理前か」と考えていても

2週間、1ヶ月と不調が続くと不安にもなる。長く続けば続くほど、

「生理じゃない?ならなんだ?!」

 


パニックになるのだ

【何か】分からない不安はとても怖いのだ

もちろん検査してもなにも異常がないのだから謎のまま、生理が来るまでずっと悩まされる

諦めればいいものをずっと【生理】という、生理現象がどうも自分に起こることが違和感なのである。

 


結果として、僕はよく大きな自傷行為をしてしまっていた

10針ほど縫うこともあった

でも死にたいわけではなかったので、周りにはなぜ?と問われ続けた

そしてそれに答えられずにいた

縁を切りたいとかリセットしたいとよく言っていたがこじつけである(嘘ではないが)

 


生理というもの、妊娠出産と関連付けて考えるとそれは女性の大きな役割である

それに僕は常々違和感を感じていたようだ

 


でも、生理現象だ仕方ない。そう思い込んで自分を騙していたようで、第二次性徴期になり体が女性らしくなるにつれて、僕は精神面でやられてしまった

 


それが長らく続く、メンタルの病気との付き合いの始まりだった

 


小学生までは私服で気楽だったものが、進学と同時に制服でスカートをはき、生理に悩まされ、そして確実に男女の役割がはっきりとしてくる

 


それはとても不快で、

「どうでもいいじゃないか」という反応をとると「女の子なんだから」と、僕にとってすごく違和感のある言葉がよく飛んできた。

 


僕がこの頃、アセクシャルだと分かっていたら多分学校にも行っていなかったと思うし、孤立していたと思う

 


知らなくてよかった。

何故分からなかった方が良かったのか

それは義務教育のなかで自分の経験値を積み上げることは僕にとってとても大事なことだったからだ

その為には、不安要素はない方がいいのである。知らない方が幸せと言うやつだ。

それが自分自身を痛めつけて、心を病んでも、必要なことだったと思っている

 


まだまだ若い僕にとって、学校生活という

半強制的に行われる自分の役割の認識や同年代と交わす会話、もちろん男女ともに交流することは自己の確立だ

 


自分を自分として客観的に見れるようになるための物差しになる

 


常識は常日頃関わるものから吸収するものであって、一般的または過半数が占める意見というものも尊重しつつ、自分の心の変化に踊らされるのが道徳的教育だと思っている

 


その経験があるからこそ

ああ、僕は彼女たちにはない感覚がある

彼らの感覚と似ている、あるいはどちらも分からない、逆にどちらもわかる。そういった感覚が身についたのだと思うのだ

 


そして、高校は恵まれていた

僕はきっとギャルと呼ばれる女性らしさは全く共感出来ないので、そういうタイプの子とは自然とお互い距離を取っていた

でも高校デビューする子は多い…。実際地味だった友人も他の学校で女性らしさを楽しんでいた

 


僕がいた高校では、いわゆるヲタクと呼ばれる人が多く、男性陣も少なかったため、派手な子ほど浮くというとても変わった雰囲気だった

 


その環境はとても快適で、楽しく3年間を過ごせた

 


なぜ快適か…。まず恋バナがない(笑)

恋バナというもの、いわゆる恋愛話に僕は全く共感できないのである

なので、友人が恋バナをしてくると

「相手はどんな人」かを聞いて、

「へんなやつに騙されてないよね?大丈夫かな?」

そんな心配をしていた。まるでお母さんのようである(笑)

それぐらいしか聞くことがないので、あとは相槌をうって話を聞いてるだけだった

とくに羨ましいとか、そういう感情もなく

むしろよく分からない彼女たちの感情の高まりを「青春してるな~」なんて表現していた

 


大抵そんな反応していると

貴女はどうなの?と聞かれるのである

 


興味が無さすぎて悩んでいたが

とりあえず、恋するお年頃の女の子の夢を壊さないように、「居ないんだよね~」と流していた

 


本音はというと

「そんなの幻想でしょ」だった

とても失礼な話ではあるが、これが当時の本音だった

ただ、付け足すとするなら、若い子が恋に落ちるのは気の迷いだと思っていた

 


自分に程遠い感覚は大人になったら分かるものだと思っていた

 


しかしながら未だに誰かを好きになったことがない僕にとって未だに幻想だと思えるのが誰かを好きという感覚

 


男女ともにlikeはある

でも僕にはLoveがない

 


もちろん女の子は可愛いと思うし、男の人をかっこいいと思ったり、家族が好きだとか、ペットを愛でるだとかそういうものは分かるのだが…。

 


告白をされても

僕には「性的な目で見られているのか??」

と突飛な話になる

 


「好きです」→付き合う?→キスをする→いつか性的なことも?

 


いやダメだ気持ち悪い

 


付き合うまでは別にいいかもしれないが、ハグ以上のことは出来ないだろう

 


だからいつも「どういう所が好きなの?」と聞いていた(嫌がらせとかではなく、疑問に思っていたから)

僕は僕のことを好きではないから、自分の良さが分からないから尚更、魅力はどこなのか教えて欲しかったのだが

 


「優しい」とか「親切」とかそういう言葉ばかりで頭を抱えた

 


なぜなら相手を特別扱いしたことはないからだ。そう、君だけに優しいんじゃない、みんな平等に接してるつもりなんだけどな、僕は…。

 


過去に断ったら

元の関係に戻れないから学校に行きたくないと登校拒否された時には頭を抱えた

 


僕は勉強教えていただけだったのだが

それに特別な優しさを感じていたようだ

 


いや、それは単なる僕の親切心だ…

 


元に戻れないとか言っていたが、よく分からなかったので慰めの言葉を送っていた。

それもとても相手には迷惑をかけたと思う

 


そんなこともあって、僕は早く歳を取りたいと願望していた

 


そうすれば【性的な目】で見られることはなくなるから、そういうことをしたい人は近づかないだろう…と。

 


大人になればそういった感覚も身につくだろうし…と。

 


よくよく考えれば、大人は子供の延長でしかないのだから急に恋愛感情なるものが湧いて出てくるなんてないのだ

 


感覚は変わらない

心の成長はあっても恋愛に関してはあまり変わらないように思える

 


それでもパートナーは欲しいわけで(笑)

なんでパートナーかって、別にイチャイチャしたい訳でも、子供が欲しいとかそういうのでもなく、単純に【理解者】が欲しいのである

 


【理解者】に性別なんて関係ないので、男女ともに、僕はそういう運命の人はいつか出会えたらいいなくらいには思ってる

 


乙女的な(?)ことを言うなら

不安な時にちょっとだけ距離を縮めていいですか?

辛い時に手を握って貰えないだろうか?

 


ぐらいです(わ~乙女ー

 


今も悩むのは僕はどう言った立ち位置にいればいいのだろう?ということだ

 


いや、そうじゃない

どうしたら生きやすくなる?

 


立ち位置を考えるとまた苦痛が生まれる

だけども割り切らなきゃいけないことも分かっている。それは今までやってきたことなのだから

 


社会に溶け込もうと僕は【私】になりきって

苦痛を誤魔化して生きてきた

 


女性という立場にちょうど良い格好をして

浮かないように必死だった

 


まずは装いから常日頃周りを観察しては自分の意志とは違う感覚に慣れようとしていた

 


それはプライベートまで侵食してしまったのだから、それは生きづらいだろう?

 


プライベートでは好きなことをしていいんだよ…

 


社会に出てすぐ、僕は潰れてしまった

僕のは進んだ道は、僕にとってどう影響していたのか…。

 


男社会にある独特の癖やこだわり

もちろんそれに順応しようとした

ただ、「嗚呼、こういうこだわりってすごくどうでもいい」と思ってしまう

でもそのこだわりを突き詰めるのが醍醐味だと、その感覚も分からなくはない

でもそれって僕は好きなものでしかできないや…仕事には責任感はあってもプライベートまでは割けなかったし

体を酷使することに僕の体は耐えられなかった

心もすぐ壊れてしまった

 


そして今、まだ社会復帰に足踏みしてる僕だが、これだけは分かった

 


まだまだ知らない世界は怖い

だけど、大きく1つ【何か】が分かった

ずっと形にできなかった思いが、解けていくのは、一歩前進だと。

 


理由が分かれば、怖さの正体が見えてくるのだから

得体の知れないものでは無くなったのから

僕はそれに思考を巡らせることが出来る

 


それでも悩まない人生などないだろう

生きていれば悩みなんていくらでも出てくるんだから

 


僕は恵まれていたから、親や友人に理解された。とても幸福なことだ

だから幸せなうちに自立しなきゃね

 


僕は【私】も連れてこれからの人生を歩んでいこう