猫屋さんの病記録

猫屋宅のぬいの病記録

当たり前になってる事

こんにちは、猫屋です

 

当たり前になってる事ってありますか?

例えば、病気にかかったなら病院に行く

医者に出されたから薬を飲む…etc……

 

でも、それが普通じゃない人もいるんです

例で出したものの中には

風邪ぐらいならすぐ治るから、とか

病院、薬嫌いだからと抵抗する人もいます

 

 

そういった抵抗や受け入れの中で

僕の周りでは食い違い意見が分かれる事が多々あります

 

障害があるから当たり前

障害があっても最低限これは…

ってものがあります

 

疲れて帰ってきて家のこと何もできないのがが当たり前…

だってそんな体力ないし仕方ないよねって

思っている人がいます

 

僕の母ですが

 

でも、それっておかしいのでは?

休日ずっと何もせずに寝ることしか出来ない

帰ってきたらお酒を飲んで風呂はいって寝るー!みたいな生活を「普通」と呼ぶのは僕には抵抗があります

 

母も最近異常に気づいたようで、それってやっぱりおかしいんだよね?と言った感じになってきました

 

だって、同じ仕事をしてる人の中には

帰って家事やって、休みの日は遊びに行ってって人が殆どなんですから

 

でも、それを自分は病気をしてるから

とかスキル、能力がないから

「仕方ないよね」と諦めていた

そして違和感に気づかない時間が長かったように見えました

 

それを客観的に見るとどうでしょうか

子供の僕から言わせてもらうと

 

仕事が自身のスタイルと合ってない

無理して働いてる

 

という風にみえます

 

それでも

仕事は無理して当然

完全に自分と合う職場なんて早々ないんだから仕方ない

とずっと「諦めて」いたようにも見えました

 

 

仕事は無理して当然…?そうでしょうか

仕事をしている時の母と休日の母

同じ人間なのに片方が充実していても片方が機能していない

それは生活していると言えるのか?

 

僕はNOと答えます

 

私生活があるから仕事をする

仕事をするから私生活が守られる

 

僕はそう考えています

基礎的な所で母は現状が「当たり前」と思ってしまっていたのです

 

長年働いて、体が壊れ、心が壊れ

やっと行き着いた先にあったのは

自分が無理をし過ぎていたという事実

 

当たり前といって「普通」を決めるのは

誰でしょうか?

誰の基準なんだろう?

 

一概には言えなくても

自分の体のことは自分が決める

それは誰もが変わらないことではないかなぁと浅はかな考えで訴えてみます

それは叶わない人もこの世の中には沢山いるだろうと思っているからですが…

 

できる環境の人はそれに気づくべきだと言いたい

崩れ壊れてしまったら完全に元に戻るのは難しいからです

 

自分に問いかけてみて欲しいです

無理しすぎて無い?

もうちょっと頑張っても、長続きしそう?

 

自分に厳しい人ほど

体に労りの言葉をかける

それは訓練であり、自分が生き生きとできる能力を育むものかと思いました

 

時代は変わります

甘えと言うものもあります

 

それでも守らなければ行けないのは自分自身の健康ですよね

自分を守れない人は他人も守れない

なぜなら手を伸ばす前に力尽きてしまうから

声すら出せなくなってしまうから

 

 

僕はそう考えます

ゆとりで結構!それでもいいよねとたまに思うのです